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YOSHIKO YAMAZAKI
世界に日本語の種を蒔く
山﨑佳子 Yoshiko Yamazaki
1946年大阪府大阪市生まれ。1970年神戸市立外国語大学英米学科卒。1968年から1969年まで米国カールトン大学に、1975年から1976年まで米国ピュージェットサウンド大学に留学。2001年にテンプル大学教育学修士課程修了。1970年1月から5月まで大阪万博協会通訳部の英語通訳業務、同年5月から翌年9月までノースウエスト航空で客室業務員として勤務した後、1971年から1974年まで米国ワシントン大学の日本語教師となる。1988年から東京大学、東京工業大学、横浜国立大学、などで日本語教育に従事し、1999年から2010年まで東京大学工学系研究科日本語教室専任講師。2010年4月より国際工学教育推進機構特任専門員として留学生・日本人学生対象プログラムの企画実施を担当。2017年に退職。
町田恵子 Keiko Machida
1953年東京都板橋区生まれ。1976年東京女子大学文理学部日本文学科卒。共立薬科大学や医療機器専門メーカーである株式会社アムコでの事務職を経て、1989年4月に中国残留孤児定住促進更生施設塩崎荘にて日本語教師生活を開始。同年6月に笹川医学奨学金制度の渡日前日本語教育のため 3ヶ月間中国長春に赴任。1989年から1992 年まで日本外国語専門学校非常勤講師を務め、1992 年 6月より笹川医学奨学金制度事前日本語教育の為 3 か月間 2 度目の中国長春赴任。1991 年 10 月よりABK日本語コースに非常勤講師として着任、1992年10月より同専任講師、2001 年4月より同教務主任を歴任し2014年から副校長を務める。2016年に退職。2018年より(株)アスク出版編集部、アカデミー・オブ・ランゲージ・アーツ日本語教師養成講座主任を兼務。
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『日本語初級 大地1』
初学者向け日本語総合教科書。日本語学校や大学で広く用いられ多大な影響力を持つ。日本語文法の基礎力や語彙への理解を深めるとともに、日常生活や学校生活など、学習者が実際に活動する場面における日本語でのコミュニケーション能力育成を可能とする内容となっている。また、学習者が自ら考え、意見を表明することを可能とするインタビューや発表などの活動項目も充実している。
生活者としての感性重視の教科書開発
今日、日本語教育現場で広く使用されている初級日本語教科書『大地』。五人の女性日本語教師の創意工夫が詰まった教科書だ。メンバーは出版社により選ばれ、当初はそれぞれに面識は無かったが、日本語教育に携わってきた実力派の教師たちだ。
── 一緒に全部。シラバスも全部一緒に考えました。メンバー全員でやると仕事全体が見やすかったですね。
チームで現場に役立つ理想の教科書像を挙げ合ったところ、「量をコンパクトに」「実際に学習者が遭遇する場面」「実生活で役立つ語彙」という三点に絞られた。その上で、それぞれの持ち場で日本語教育に取り組むメンバーが感じる課題やノウハウが投入され、枠組みや内容が形作られていった。他の日本語教科書に掲載されていなくても、使用頻度が高いと思われる語彙や場面、学習者のニーズや興味に合致する、楽しく学べるトピックは何か、積極的にアイディアを出し合った。そのため、しばしば編集者の意見との相違が生じることもあったと山﨑氏と町田氏は振り返る。
── だいぶ没になりましたね。なのでもっと飛んでた、面白かったんですけど。オリジナルは。
それでも、通常は、初級の日本語教科書には掲載されにくい語彙や文型も掲載された。それらはメンバーの感覚に基づいた結果だったと町田氏はいう。コーパスなどの言語資源や他の教科書を参照することはもちろん重要だが、生活者である自分たちの感覚の方が頼りになる面もあるというのだ。
── コーパスも見ていたんですけども、それよりもみんなの感性のほうが正しいと思います。公の場面での使用頻度がそんなに高くなくても、私たちが日常生活の中でたくさん使っている語彙っていうのは別にある。私たちはやっぱり生活してるわけですから。その自分たちの感性を信じようと。
コーパスに加え、日本やアメリカなどで発行された既往の日本語教科書の事例も参照し、JLPT(旧日本語能力試験)の語彙文型のリストとも照らし合わせ、その中で重なりの多いものを抽出した上で、最終的に感覚で絞ってゆく。これが、チームが導き出した語彙・文型の側面での教科書作成方法であった。
トピックの大切さ
選定された語彙と文型を文脈に基づいたストーリーとして編み上げるのがトピックである。『大地』では、日常生活に根ざしたバラエティ豊かなトピックを選んだ。山﨑氏は、トピックが生活に関わる多様なものであれば、必ず読者の心に響くと考える。例えば「リサイクル」(『大地2』23課P.4)についても、当初批判の声が挙がったと町田氏はいう。
── リサイクルは、社会的に見ればごくごく一般的なことだけれども、今までのテキストでは扱われてこなかったんですね、トピックとして。私たちは、今の社会に開かれたテキストにしたいということで、そういうものも載せたんですけれども。掲載した当初は「なんでこんなの入れるんだ、初級の教科書なのに」というのが、結構批判としてありまして。利用される先生方にも当然今までのと違えば戸惑いがあるじゃないですか、想定外みたいなことですね。でも、使っていただくうちに、少しずつ理解が広がりました。
山﨑氏が指摘したのは日本語教師の持つ意識だ。
── やっぱりどうしても文法ベースで考えてしまうんですよね。「私、文法苦手で」っていう日本語教師はなかなかいないです。だけど、「会話を教えられなくて」っていう先生は多いっていう話を伺ったことがあるんです。当時の日本語教育ってそういう感じもあったんですね。文法をいかにきちんと正しく教えるかが教師の仕事で、言葉を覚え表現するのは学生の責任みたいな部分があって、それが少しずつ課題と認識されていったんですよ。そういう背景もあって『大地』ではできるだけ学習者が教室の中で考えて発話できるようなものにしなきゃと考えました。
それは詰まるところ学習者を“動かす”教科書だったという。自己発信のできる教育、学習者が自ら関係性を作り、自分から発信できるようになるということを目指して、新しい教科書の作成に取り組んだ。
装丁へのこだわり
教科書の内容にとどまらず装丁にも力が入れられた。『大地』のイメージともなっているすっきりしたブルーにもこだわりがあると山﨑氏は述べる。
── 私、この色が大好きで。実は、娘のフランス語の本のイラストと数字の色がこの色だったんです。フランス語の教科書なんですが、それがとてもおしゃれな色をしていて選びました。色は大事ですよ。これが緑でも茶色でも駄目だし、赤は駄目だし。
イラストについても、ストーリーや場面の内容が正しく伝わるイラストで、かつ、見ていて楽しいものになるよう留意した。それぞれのキャラクターにはプロファイリングをつけ、場面や状況も詳しく設定し、イラストレーターへの依頼の際に付帯情報として伝えた。イメージのすり合わせには苦労し、イラストレーターからは「もう二度と一緒にやりたくない」と冗談で言われたこともあった。しかし町田氏は、イラストは教科書の命だという。
── そもそも、見て楽しくなかったら、それで勉強しようっていう気にならないじゃないですか。漢字圏、非漢字圏を問わず、イラストは効果がありますね。適切なイラストがあれば、言葉で説明しなくてもシチュエーションが理解できますね。その理解できるシチュエーションっていうのは、読者の国の中でもある程度同じようなことが起こっている。つまりスキーマがその時点で活用できる。だから、例えば語彙だったら、その語彙が自国で何というかはイラストを見れば一目瞭然ですぐ分かる。つまり、自分のスキーマをその場面から日本語に転換するためにちゃんと意味のある言葉、意味のある発話を考えることができるということが、イラストを多用することの一番のメリットなんですね。
充実させたイラストは、『大地』の特色の一つだ。日本語教育において大切なのは、学習者にシチュエーションをまず理解してもらうこと。そこで浮かぶアイディアや知識がもとになって学習活動が進んでゆくからである。
多様なメンバーによる多様な考えからうまれた教科書
多くのこだわりがつまった『大地』だが、話を伺っていくと作り始めてから徐々に全員の考え方や方向性が固められていったという印象を受ける。町田氏はこう話す。
── それぞれがイメージしてるものが違ってたので、それを、みんなですり合わせていく中でやっぱりこの形っていうのができてきたんじゃないかなと思います。
山﨑氏も、知らない者同士で結成されたチームが空中分解しなかったことを、編集者にも褒められたと笑う。しかし、そこにはメンバー全員が、遠慮せずに思ったことを口にし合うことのできる環境があったことが大きい。
── どれが正しくて、どれが間違ってるとかじゃなくって、「私の学生だったらこうなんだ」っていう、そういう視点で話をしてるので。私の意見に反対したとかそういう話じゃないので。
意見や考えが違っていても、学習者のために教科書を作るという理念はしっかりと共通していたのである。そうした環境の中では、お互いに学ぶことが多かったと町田氏は言う。
── メンバーそれぞれが、自分が日々目の前にする学習者の代表みたいな意識でした。その学習者たちに一番いいテキストをと思うから。みんなお互い分かり合って。また、逆に言えば、どうしても自分の範囲の、自分の目に見える学生をいつも見てるわけですから、そうじゃない日本語教育現場ってあんまり普段知る機会もないですよね。だから、その範囲でしか考えなくなっているので、そういう意味ではメンバーそれぞれの意見が聞けたことで視野が広がったんじゃないかな。
また、町田氏は2000年代に入って日本語教育が大きく変わり始めた流れを組み込むことも、メンバー間での共通理解だったと述べる。
── その前までの日本語教育っていうのが、やはり、大学への予備教育的な色合いが強くて、基礎をがっつりやりましょうという文法ベースのものだったんですね。それが、「はたして、学習者は実際にコミュニケーションできるようになるのか」ということで問題視され、「これを勉強したら何ができるようになるんだ」みたいなところに関心が移行しはじめた時なんですね。そういう意味では、『大地』も、そうした課題に対する自分たちなりの具体案として形にした教科書だと思います。実際これから望まれる日本語教育っていうのが変わってきている中で、やっぱりテキストは当然変わるべきだという想いがあって。それが私たちのそれぞれの教室の中で実践していた工夫をみんなで持ち寄って一つにできた背景だったんじゃないかなと思うんです。
日本語教育の現代的課題への認識は、それぞれが現場で感じたものから成り立ち、異なるバックグラウンドを持つメンバーが協働しながら、日本語習得を目指す学習者のニーズに対応する教科書にすることができた。
── メンバーが経験したいろんな部分が全部入っているから。だから例えば欧米の学生さんが「違和感がない」っておっしゃってくださるんだったら、それはそうした経験を持つ山﨑先生とか佐々木先生とかが自分の学生のことをちゃんと理解してその本の中に取り入れることができたっていうことじゃないかと思いますけど。
山﨑氏も同意する。
── 無意識かもしれないけれども、彼らのニーズや、彼らの国とか文化とかが、何かしらがたぶん、自然と入ってるんですよね。
自らの受け持つ学習者のことを一生懸命に考える五人の教師が集まり一つ一つ丁寧に議論を交わしたことで、学習者の多様性に対応できる教科書が生まれたのである。
キノコが生えるほど多忙な10年間
『大地』の作成メンバーは、教科書作成者である一方で、一教師でもある。メインテキストの作成に五年間、そして教師用ガイドや文法説明の作成も含めると実に十年を開発に費やした。その間の忙しさは想像を超えるものだったと山﨑氏はいう。
── 月に二日ぐらいしか家にいない時もあって。主人も現役で働いてたので、お風呂場にキノコが生えましたよ、閉めすぎて密閉してて。浴室の入り口の木の部分が腐っちゃってもう、『大地』が終わったら造りかえてもらいました。庭もすすきヶ原でね、回覧板持ってきた友達が「ここの家、誰か住んでるんですか」みたいな。だって日中も全部雨戸閉まってますし。
専任教師としてフルタイムの仕事をこなした一日の夜に、教科書作成を行う。土日、休日も取り組み、夏休みも全て教科書開発に費やした。
── みんなプライムタイムでした。町田先生は50代、私は50代か60代。みんな『大地』と共に生きましたね。
完成した教科書は、『大地』と名付けられた。これは、スリーエーネットワークの社内公募で決まったものだが、山﨑氏も町田氏も、その名前のコンセプトを非常に気に入っているという。
── 大地に日本語の種を蒔いて、それがすごく大きくなって日本語教育というか学習者の日本語が育つっていうコンセプトなんですね。ですから、表紙の植物も第1巻から第2巻にかけて成長しているんです。
山﨑氏は、日本語教育は世界平和につながると持論を語った。
── 日本に来て、あるいは、海外で日本語を学ぶっていうことはやっぱり多文化理解に必ずつながると思っています。よく工学部の先生に「日本語教室はなにがゴールなんですか?」って聞かれるから「世界平和です」って言ったら「は?」とかおっしゃるけども。基本的に国レベルのいろんな争いや摩擦があっても、その中で日本に来て学んだこと、友達やお世話になった方々、日本語の先生の顔を思い浮かべて、「ああ、あのときああだった」っていう個人レベルでの信頼感があれば大丈夫だと思っていて、それをいつも念頭に置いています。ですから、日本語を教えながら、学習者との関係、学習者同士の関係、学習者と社会との関係は大事にしています。楽しく、やっぱり心と心の草の根交流が私は基本だと思ってやってきました。
相互理解の支えとしての日本語教育、そうした理念を持つ五名による日本語教科書が、現在の日本語教育のしっかりとした“大地”を築き上げたのである。